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資生堂のヘリテージに学ぶ美意識と挑戦心 「Around Beauty Meetup 特別編」オンライン開催

2020.06.18

美にまつわる社内外のさまざまなイノベーターがS/PARKに集まり交流する「Around Beauty Meetup」。

これまでに4回に渡ってS/PARKで開催してきたが、今回は資生堂からゲストとして社会価値創造本部 アート&ヘリテージ室の大木敏行氏と大畑昌弘氏を招き、初めてオンラインで開催された。

(左から)社会価値創造本部アート&ヘリテージ室の大木敏行氏と大畑昌弘氏

社会が変容するいま、これからの美のイノベーションはどうあるべきか。150年続く資生堂を貫く精神や、生活者に寄り添う美意識を紐解いていく。

創業1872年、資生堂・創業期のヘリテージ


初めてのオンライン開催となった「Around Beauty Meetup」には、資生堂グローバルイノベーションセンターから約90名が参加。まずは大畑昌弘氏が、資生堂のアート&ヘリテージ室の活動について紹介した。

もともと企業文化部を前身とするアート&ヘリテージ室は、「創業以来の歴史と企業文化を受け継ぎ、未来の成長に活かすこと」「新しい美の感性を探求・発見し、日本発の新たな価値を創造・発信すること」をミッションに掲げている。

東京・銀座の資生堂ギャラリーや静岡・掛川のアートハウスなどを運営する「グローバルアートグループ」、150年史の編纂を行う「ヒストリア150グループ」、企業文化誌『花椿』の発行やS/PARK Museumの運営を手がける「ミュージアム&エディティンググループ」、そして資生堂企業資料館を主として、資生堂のヘリテージを収集・蓄積し、活用を推進する「ヘリテージマネジメントグループ」の4グループから構成される。

最近では、2019年9月に日本橋高島屋で開催され、11日間で3万人を動員した「資生堂展」や、収蔵資料のデジタル化、世界における企業資料の活用を促進させるグローバルアーカイブデータベースの構築を進めるなど、その活動は多岐に渡る。

続いて、大畑氏は「創業者から3代目社長までが行った取り組み」と題して、創業者である福原有信、初代社長の福原信三、2代目社長の松本昇、3代目社長の伊與田光男の功績を、時代背景とともにふり返った。

1872年、創業者・福原有信は、24歳となる年に、世間で粗悪な薬品が出回っていたことを憂い、医薬分業の必要性を説いて、海軍病院の薬局長という安泰な地位から飛び出し、日本初の民間洋風調剤薬局「資生堂」を創業した。

社名は、中国古典「易経」の一節「至哉坤元 万物資生」(大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか。すべてのものは、ここから生まれる。という、新しい命を次々と生み出す地の徳を讃える一節) に由来する。

当時、日本初の練り歯磨き「福原衛生歯磨石鹸」(1888年)や、西洋薬学的処方に基づく高等化粧水「オイデルミン」(1897年)など発売し、高価なアイテムにも関わらず大きな反響を呼んだという。大畑氏は、「化粧品開発においても、人の命や健康に関わる医薬品と同じくらい(品質に)注力できたのは、医薬オリエンテッドならではの資生堂の強み」と原点を語る。

大畑氏の発表によって、資生堂の創業期の精神がいまなお中核をなしていることを浮き彫りになっていく。資生堂のDNAとも呼べる「高品質・先進性・本物志向」は、創業者・福原有信の思想に端を発しているのだ。

創業者・福原有信の三男であり、会社組織となった資生堂の初代社長となった福原信三の時代には、品質に加えて企業経営における「デザイン」を重視。1916年に、現在の研究施設である資生堂グローバルイノベーションセンター(GIC)の前身となる「試験室」と、現在のクリエイティブ本部にあたる「意匠部」が新設されたという。

科学者でありながら芸術を深く愛した信三。その時代を代表する商品は、ともに1917年に発表された「七色粉白粉」と香水「花椿」だ。

白粉と言えば“白“が当たり前の時代に、一気に7色も揃えた「七色粉白粉」は、いまふり返っても先進性がある。「肌の色やその日の服装に合った色を選んだり、色と色を組み合わせられたりする点でも、パーソナライゼーションやダイバーシティといった現在にも受け継がれる思想の萌芽がすでに見られている」と大畑氏は指摘する。

そして「商品を芸術品にまで高めようとする美意識の高さにも学ぶべきものがある」と大畑氏が語るように、香水「花椿」は、香りだけでなくレーベルや瓶そのもののデザインなど、細部まで美しさへのこだわりが伝わってくる。

資生堂におけるビジネスの礎を築いたのは、三越を経て資生堂に入社後、2代目社長に就任した松本昇だ。

松本は、いまの資生堂の「OUR MISSION」のベースにあたる「五大主義」を制定。そのひとつである生産・流通・消費を通じての「共存共栄主義」に則って、1923年に「資生堂連鎖店(チェインストア)制度」を打ち出した。この仕組みは、厳しい価格競争下で、化粧品を安価に乱売せざるを得なかった得意先と信頼関係を築き、適正な利益を互いに確保することで共存共栄主義の実践を試みた。

現在のBC(ビューティコンサルタント)の起源である「ミスシセイドウ」や、愛用者の会にあたる「花椿会」(1937年)も、この時期に発足。大畑氏が「愛用者との関係を心から大切にした思想が感じられます」と話すように、高級化粧品メーカーとしての資生堂の思想を伝える手段を整備したのは松本の功績だった。

最後は、3代目社長である伊與田光男だ。伊與田について特筆すべきは、研究者出身の社長であること。

資生堂における研究開発の発展に尽力し、香料の研究で培われた嗅覚から「香りの神様」とまで呼ばれた伊與田は、1934年に女性ホルモンを世界で初めて取り入れたとも言われているクリーム「ホルモリン」を発表した。

日中戦争に突入した時代に、化粧品原料の輸入が制限され、各メーカーが国産の代用原料を検討しなければならなくなった。しかし、伊與田はそんな状況下でも、当時は“舶来品に比べて品質が落ちる”とされていた国産品の原料を向上させ、海外品の品質を上回るチャンスと捉えていたという。

この伊與田の姿勢について、大畑氏は「危機をチャンスと捉えて対応することで、発展に繋げる」として、「まさに私たちが直面している状況にも当てはまるのではないか」と語りかけた。

大畑氏は、創業期の歩みを総括しながら「資生堂に今も受け継がれるのは、美意識と挑戦の精神」と自らの考えを述べ、プレゼンテーションを結んだ。

「スポッツカバー」開発秘話と資生堂のDNA


続いて、掛川にある資生堂企業資料館の館長を務めるアート&ヘリテージ室の大木敏行氏から、象徴的な商品である「スポッツカバー」(1956年)の開発経緯と、終戦直後の資生堂の歴史についてのプレゼンテーションが展開された。

あざや傷あと、がん治療による見た目の変化など、肌の深い悩みに応える現在の「パーフェクトカバーファンデーション」シリーズの前身となる「スポッツカバー」は、1956年10月の『花椿』によると、もともと原爆や戦禍によって傷痕ができた人たちへのケアを目的に開発されたものだった。

戦後、GHQが厚生省にそうした商品の開発を促し、厚生省から資生堂に直接提案があったことが開発の発端だ。「(当時の)資生堂商品への信頼の高さが窺える」と大木氏は話す。

「スポッツカバー」は販売量や価格という観点からではなく、人道的な見地から開発されたこと。また、日本人特有の肌の色をつくることに苦心し、6色のうちから2色を選び二段使いすることで、一人ひとりの肌に合わせたという。現在にも息づく「ダイバーシティ」や「UNCOMPROMISING QUALITY」(妥協のない品質)の精神がここに込められている。

さらに大木氏は、戦中には工場で働く女子挺身隊への特別配給として、木製容器の口紅を製作されたことや、戦後は「貧しく荒廃した日本に未来への希望を持ってほしい」という願いから、販売する商品がない中でも、女優の原節子さんを起用したポスターを発表したエピソードを紹介。

大木氏は、この2つを「利益よりも企業の社会的責任を重視した、資生堂のDNAを象徴する出来事」とふり返った。

木製容器の口紅

その間、幾度か経営危機にも陥った資生堂。1945年3月に東京工場が被爆、化学研究所も焼失し、1948年1月には物品税滞納により工場と商標が差し押さえられたという。税務当局に誠意を尽くし、例外的に手形による分割払いが認められたことで、存続の危機を乗り越えた。

1948年8月に、研究拠点の化学研究所が復活。経営状況は厳しかったが、初代社長の福原信三は「すぐれた商品をつくるためには、他のことを少々犠牲にしても、研究所は絶対に必要である」と強く提言したという。

2代目社長の松本昇は、苦しい状況を乗り越えるために、創業80周年を迎える1952年に「資生堂躍進五カ年計画」を打ち出した。当時は、政府も民間企業も「五カ年」といった長期計画をする先例はほぼなく、非常に先進的なプランであった。

こうして1957年、「資生堂躍進五カ年計画」の最終年に5年間で408.8%の驚異的な成長を達成。『資生堂宣伝史』では「日本における化粧品業界で確実に首位の座を占めるに至った。」とある。「スポッツカバー」発売の翌年のことだった。

資生堂の戦中戦後の歩みと「スポッツカバー」開発を振り返りながら、大木氏は「先人たちの覚悟と、社会の課題に対して真摯に向き合ってきた矜持があったからこそ、信用や信頼を獲得できたのではないだろうか」と投げかけた。

「この商品(スポッツカバー)は利益を出さなくていい。売り続けることが大切だ」

最後に、大木氏は、創業者・有信の孫で資生堂名誉会長である福原義春氏のこの言葉を紹介した。

いま“資生堂らしい”挑戦とは何か


続いて、資生堂グローバルイノベーションセンターの研究員である佐伯百合子と、司会でfibonaメンバーの豊田智規を交えて、スピーカーの2人とのパネルディスカッションがスタート。

(左上)資生堂グローバルイノベーションセンター研究員の佐伯百合子、(右下)司会、fibonaメンバーの豊田智規

まず佐伯は、「研究職出身の3代目社長のエピソードが印象的だった」とトークをふり返り、「厳しい状況のなかで、不安にとらわれて動けなくなるのではなく、常に前に進み続ける開拓者のマインドは、コロナ禍でも見習うべきところだと感じた」と感想を寄せた。

「スポッツカバー」の開発秘話については、佐伯が「現在の新型コロナウイルスとの闘いの状況における(手荒れに配慮した消毒液)アルコール生産の話と共通する部分があると感じた。社会の課題解決にいち早く着手したことが、国や消費者からの信頼を得たのではないか」と話すと、豊田も「社会価値と経済価値のバランスが重要だと感じた」とコメントした。

大木氏は、そんな資生堂の挑戦を「品のいいアバンギャルド(前衛/革新的)」と解釈。「いつの時代も一歩先にある世の中の憧れを提供するために品のいいアバンギャルドであり続けた、ということではないだろうか」と語った。

続いて、「スピード感のあるβ版の市場投入」を目指すfibonaのスピーディートライアルプログラムにも参画している佐伯が、現在考えているアイデアを紹介。「スポッツカバーのお話にあったように、見た目を整えるだけでなく、心への作用まで掘り下げた価値を提供したい」と抱負を語った。

佐伯は、「ミスシセイドウ」「チェインストア制」といった過去の取り組みと重ねながら、「普段の研究ではサイエンス中心だが、fibonaに参加したことで、『自分がマーケッターだったら...』などと多角的な視点を意識するようになった」と心境の変化を明かす。

大木氏は「伝統的な資生堂らしさに対する『反資生堂スタイル』の作用も、企業文化の源泉である」として、「資生堂という会社には、マーケッターやクリエイターに反乱を誘発させて、価値づくりの幅を広げる懐の広さのようなものがある」とエールを送った。

また、「資生堂を資生堂たらしめているものはなんだと思うか」という参加者からの質問に対して、大木氏は、危機に際して、初代社長・福原信三と2代目社長・松本昇のエピソードを紹介した。

信三は、昭和恐慌の際に、「販売会社も、チェインストアも、売りやすい、安い商品を望んでいる」と進言した松本昇に対して、「安い品物でなければ売れないのなら、売らぬのもやむを得ない。資生堂はいい品物をつくることで信用があるのだと思っている」と返したという。

松本昇は、戦後の混乱期に「資生堂に従事する者の心がけ、即ち、誠実・熱・努力・創意工夫・迅速・細心・正確・礼譲たることで、外観が良くても無価値、魂が入っていることが最重要である」と話した。

これらの逸話から、大木氏は「資生堂人は、何よりもまず ”誠実” であれということ。そして、いつの時代も“信用”を獲得するために挑戦してきた会社なのだと思う」と語り、パネルディスカッションは幕切れとなった。

最後に、fibonaプロジェクトオーナーの荒木秀文は「資生堂らしさは、歴史や伝統を守ることだと思いがちだが、先人たちの偉業を見ると、過去の伝統を守ろうとした結果ではないことは一目瞭然だった」と「挑戦」するアクションの大切さについて触れた。

「資生堂は、どうしたらお客さまの役に立てるのかを常に考えてアクションを取ってきた会社。私自身も利益や売上のことが頭に浮かぶことはあるが、お客さまに対してどう貢献できるのかを考え抜いてアクションを続けていれば、後から売上はついてくるんだ、と先人たちが示してくれていることを心に留めておきたい」

今回紹介された資生堂の歴史や挑戦心は、fibonaの取り組みにも受け継がれていくだろう。研究者出身の社長が存在したことは、fibonaメンバーをはじめ、グローバルイノベーションセンターの研究員にとっても大きな刺激になったようだ。新型コロナウイルスの影響で、初めてのオンライン開催となった今回のAround Beauty Meetupだが、この時期だからこそヘリテージを語ることが自分たちのスピリットと向き合うきっかけにもなった。これからもリアルやオンラインの場を問わず、さまざまな美のイノベーターとの交流から刺激を受け合い、個々人の挑戦心を紡いでいきたい。

(text:Nonoka Sasaki edit:Kaori Sasagawa)

Project

Cultivation

ビューティー分野に関連する異業種の方々と資生堂研究員とのミートアップを開催し、美に関する多様な知と人を融合し、イノベーションを生み出す研究員の熱意やアイディアを 刺激する風土を作ります。

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