「人工冬眠」がもたらす、睡眠とビューティの未来:理研・砂川玄志郎 × fibona クロストーク(前編)
2023.07.31SFでは人間が他の星に行く未来が描かれる。
そのとき、未来人たちはカプセルの中で眠り、地球が一瞬で消滅するような時間を旅する。
そんな「人工冬眠――“コールドスリープ”のある世界」が、現実味を帯びてきた。
理化学研究所 生命機能科学研究センター 冬眠生物学研究チームの砂川玄志郎チームリーダーは、哺乳類を人工的に冬眠させる手法について研究している。
“未来の眠り”は、私たちの生き方、価値観、そしてビューティをどのように変えうるのか。みらい開発研究所の内部錦、藤田陽太郎、fibonaメンバーの柳原茜、佐伯百合子が砂川先生と語り合った。
小児科医が「冬眠」の研究者になるまで
――まず、砂川先生はどのようにして冬眠に惹かれ、研究者となったのか。そこからお話を聞かせていただけますか
砂川:
私はもともと小児科医として病院で働いていました。2001年からの5年間は、ほとんどの時間を病院で過ごし、最後の2年間に所属していた世田谷にある日本最大の小児病院、国立成育医療センターでは、重症の子どもたちをたくさん診てきました。
私はそこで、医療の限界に直面しました。
大人と同じ病気であっても、幼い子どもたちには、病院までの搬送に耐え、病気の症状のピークを乗り越えるための十分な体力がないのです。私は、どれだけ医師が優秀でも、救えない子どもたちの命があることに、とても悔しい思いをしていました。
そんなある日、当直明けの休憩室でとある論文と出会ったのです。その論文は、冬眠するサルを世界で初めて発見したことを報告したものでした。「これだ!」と思いましたね。
その論文によれば、サルは冬眠中、「省エネルギー状態」になるといいます。もし人間も冬眠ができたなら……と考えました。
病気の子どもたちを冬眠させることができれば、病院までの搬送中や、病気の症状のピーク時を省エネルギー状態で乗り切ることができるんじゃないか? そうすれば、現在の医療では救えない子どもたちも救うことができるんじゃないだろうか?
私はその日のうちに冬眠の研究者となるべく、大学院入試について調べ、分子生物学をイチから勉強し始めました。
「睡眠」と「冬眠」は、どう違うのか
藤田:
私は資生堂で働いて今年で4年目になりますが、以前は医療機器のメーカーに在籍し、まさに砂川先生と同じ目的で「低体温療法」の本格的な医療応用を模索していました。
低体温療法は、34℃以下の低い体温を維持することで、患者の死亡率を下げる方法です。
当時はまだ患者の全身を冷却パッドで冷やすという、原始的な試みでしたね。現在は体温を36℃程度に維持するだけでも十分な効果が得られることが明らかになり、名称も「体温管理療法」に変わりました。
砂川:
低体温療法と冬眠は、一見似ているのですが、眠っている間の体温をみてみると、まったく異なるものだということがわかります。私たちが毎晩とっている睡眠でも、体温はほんの少し下がるだけです。
興味深かったのは、ある論文に記載されていたサルの体温に関する報告でした。サルは冬眠中、省エネルギー状態になります。代謝が非常に低くなり、その体温は20℃にまで下がります。動物によっては冬眠中に4℃という非常に低い温度になるものもいます。通常であれば体温がそれほど下がってしまえば動物は死んでしまいますが、冬眠状態では数カ月間生き、ダメージを受けずに目覚めることができるのです。
――冬眠というのは、クマやリスが行うものだと理科の教科書では習いますよね。一体どのような状態なのでしょうか? 睡眠とは違うのでしょうか?
砂川:
冬眠と睡眠との違いについては、科学者の間でもさまざまな議論がありますが、明確には分かっていません。ただ、冬眠と睡眠は、見た目にはとても似ているのですが、眠っている間の体温をはじめ、大きく異なるものであることは確かです。
まず睡眠は、学術的には脳波によって定義されています。眠っている時と起きている時では、脳波の周波数成分が大きく異なるため、基本的には脳波を観察することで、動物が覚醒しているのか、睡眠しているのかを判断しています。
藤田:
でもその定義では、脳波を測れない動物は眠らないことになってしまいますよね?
砂川:
この問題のある定義が、現代の科学の限界を示しています。つまり、睡眠はまだまだ分からないことが多いのです。冬眠が睡眠と大きく異なるのは、脳波です。冬眠中の動物の脳波を測ると、脳死状態と同じに見えます。
藤田:
興味深いですね。体温だけではなく脳波まで大きな違いがあるんですね。
砂川:
もちろん、これらの動物は冬眠から目覚めるため、実際には脳死ではありません。私自身は、軽度の冬眠は睡眠の一形態かもしれないと考えることはあります。
冬眠する動物は何カ月もの間眠った後、目覚めます。そのとき、脳の何らかの部分が「覚醒」のサインを出していると考える方が自然です。しかし、これは私の直感に過ぎず、確固とした科学的根拠はありません。
これらの未解明な部分が解明されると、睡眠と冬眠の間に存在する科学的な差異がより明確になるでしょう。現状では、私たちはまだそのような明確な結論を出すことはできていません。
つまり、睡眠も冬眠も、まだまだわからないことだらけなのです。
冬眠しないはずのマウスが「冬眠っぽい」状態に
――冬眠はどのようにして研究するのでしょうか?
砂川:
私はマウスで研究をしています。でも、マウスは冬眠しません。最初はマウスの「日内休眠」を使って研究を始めました。これはマウスがエサを断たれると約24時間後に自発的に代謝と体温を下げる現象です。この日内休眠は完全な冬眠とは異なり、マウスの体温は大幅に下がらず、休眠期間も1時間程度です。
研究を進めるうち、筑波大学で冬眠について研究している櫻井武先生から連絡があり、「マウスの脳(視床下部)の特定の神経細胞群を興奮させると、マウスが冬眠状態に似た状態になる」との報告を受けました。
このマウスは、尻尾から熱を放出することで著しく体温を下げていました。私はこの状態を見て、これが日内休眠とはまったく異なると直感しました。
私たちはこの「冬眠っぽい」状態になったマウスをさらに詳しく共同研究することにしました。このマウスは神経を興奮させると約2日間、低体温状態を維持します。
私たちはその結果を「冬眠に近い状態になったマウス」として論文を発表し、また同じ時期に別の研究グループも同様の神経の特定に成功しました。
このマウスの誕生が2020年のことで、この結果が公になってから、「マウスで冬眠の研究が可能になった」との認識が広まり、多くの研究者がこの分野に参入してきたのです。
――それはつまり、人間も人工的に冬眠できる可能性が出てきたということでしょうか?
砂川:
人間に全く同じことが起きるかどうかは非常に難しいところです。まだわからないとしか言いようがないですね。
私の理解では、この研究は、冬眠しないとされているマウスが特定の神経を刺激されることにより、冬眠に近い状態を体験できることを示したものです。
マウスが低体温状態を2日間維持できるという結果は、普通のマウスであれば6時間程度の低体温状態で死んでしまうことを考えると驚異的です。
これは冬眠する動物が持つ特性と似ています。そのため、完全な冬眠とは異なるかもしれませんが、冬眠の要素を多く含むモデルと言えるでしょう。
このマウスは、冬眠のメカニズムを理解するための重要なツールとなり得ます。そしてそれが、冬眠の研究に新たな展開をもたらす可能性を持っています。
冬眠研究がもたらす、医療や美容の新たな可能性
柳原:
私は資生堂に入社し、当初はスキンケア製品の開発を担当していました。現在は「歩容」と美容の関係、つまり人間の歩き方がどのように美に影響しているのかに注目し、研究をしています。
美容の観点で言えば、睡眠は運動と同様に体のメンテナンスとしての意味があるように思います。
私はついつい夜更かしをしてしまいますが、睡眠が肌のコンディションに影響を与えていることは明らかです。冬眠はどうなのでしょうか?たとえば冬眠をすることで、肌や体に良い影響を与える可能性はあるでしょうか?
砂川:
人工冬眠の技術は、様々な病気の治療に活かせる可能性があると考えています。もちろん美容も例外ではないでしょう。さらには抗老化に結びつく応用研究もできるのかもしれません。
柳原:
抗老化は資生堂が探求する、もっとも重要なテーマのひとつです。どのような応用研究が想定されるでしょうか?
砂川:
冬眠の特徴は、動物が何も食べずに、何もせずに、現状を維持できることです。
つまり、私たちの生命活動がスローモーションになるわけです。生命活動がゆっくりになるわけですから、病気はもちろん、老化もゆっくりと進行するでしょう。それが美容に良い影響を与えることは考えられます。
老化とは、日々の細かな修復不能な変化が積み重なっていく結果です。若い頃は、これらの変化を効果的に修正し続けることができますが、その修正機能が徐々に衰えると、老化が進行していきます。
そこで身体の修正機能を維持したままの人工冬眠を行うことができれば、老化の進行を一定程度は防ぐことができるだろうと考えられます。
もちろん、老化を完全にゼロにすることは難しいでしょうが、その進行を遅らせる上で有効な手段にはなるかもしれません。
藤田:
我々が達成したいビューティウェルネスを支えるもうひとつの重要な要素として、「こころへの影響」があります。冬眠とこころの影響の観点はどう考えられるでしょうか?
砂川:
冬眠研究には、我々の先祖たちはかつて全員が冬眠していたのではないか、という大胆な仮説があります。私たちの祖先は極寒の氷期を乗り越えてここまで生き延びたわけですから、冬眠ができる能力を持っていた可能性は十分にあり得ます。
私たちはこの視点から、冬の間だけ病気になる人々、たとえば「季節性うつ病」に苦しむ人々についての理解を深めています。
柳原:
うつ病が、冬眠と関係があるのですか?
砂川:
うつ病には、エネルギーがなくなり、動きが鈍くなり、引きこもるという特徴があります。これ、冬眠に似ていませんか? 想像力を働かせれば、冬の季節性うつ病は、昔の生物が冬眠していた時代の名残だと考えることができるかもしれません。
砂川:
もし私たちが人工的に冬眠できるようになったなら、季節性うつ病の治療に人工冬眠を活用することも可能になるかもしれません。さらには、もしうつ病が、季節性うつ病から派生したものだとすれば、人工冬眠によってうつ病全体の理解が深まり、全く新しい治療法が生まれる可能性もあります。
冬眠を科学的に理解し、人工的な冬眠を実現することは、私が冬眠を研究するきっかけになった子どもたちの命を守るだけでなく、より多くの人々を救うことができる可能性が広がっているのです。
【クロストークを終えて】
数年前、学会で発表を聞き、その内容に衝撃を受けた砂川先生にお話を伺うことができました。これまでの私のイメージは、「冬眠=普段より深く長い睡眠」程度のもの。実際に、脳が冬眠をどのように制御しているのか、体の中で何が起こり、その結果どういうメリットやリスクがあるのか。砂川先生にお話によって、冬眠という現象をより解像度高く捉えられるようになりました。人工冬眠が実現した未来には、どんなビューティの可能性があるのか。抗老化のヒントはあるのか。ぜひ他の研究員とも議論を深めてみたいです。(fibonaメンバー 佐伯百合子)
(取材・文:森旭彦、写真:西田香織、グラレコ:松田海 編集:笹川かおり)
後編はこちら
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