多様なスキルを持ち寄って実現できた “視覚×嗅覚×圧覚”の新体験、「Re;set U(プロトタイプ)」が3Dプリンターで示したパーソナライズの可能性
2023.12.13“多様な知と人の融合”をキーワードに、資生堂研究所が主導するオープンイノベーションプログラム「fibona」。その活動の柱のひとつである研究員のアイデアからβ版のローンチに取り組む「speedy trial」の一環で、プロトタイプ「Re;set U(リセットユー)」(以下、Re;set U)の開発が進んでいる。
視覚・嗅覚(香り)・圧覚(マッサージ)を組み合わせた、新たなアイテムでリフレッシュできる体験を目指している。
どうやって研究員やデザイナーの有志が集い「Re;set U」プロジェクトが生まれたのか。
どのような紆余曲折を経て、斬新なデザインのプロトタイプが出来上がったのか。
強いビジョンによる求心力でプロジェクトを牽引し、香りの中味基剤開発も担当したリーダーの高橋希佳、プロダクトの機構設計・開発を担った寺西亮士、プロダクトデザインをリードした朴ミンフ、顧客体験であるサービスデザイン設計や価値検証を手がけた古賀由希子、そしてチームに伴走したfibonaメンバーの辻知佳に話を聞いた。
研究員とデザイナーによる「Re;set U」チーム
――まずは、みなさんの自己紹介と、「Re;set U」プロジェクトにおける役割を教えてください。
寺西:
普段の業務では研究のアウトプットを製品の価値に繋げる仕事を行っています。以前は化粧品容器の研究開発を行っていたので、「Re;set U」のチームではそのときに培った経験やスキルを活かしています。デザイナーである朴さんのアイデアをもとに、プロダクトの機構設計を実現するプロジェクトマネジメントなどを担当しました。
朴:
資生堂クリエイティブの朴です。ブランド製品の容器の形状などをデザインする仕事をしています。
高橋:
私は、寺西さんと同様に研究所に所属し、普段はメイクアップ製品のコンセプトから中味、外装まで、どのようにすればお客さまにとって理想の製品に近づけるかという価値開発のプロジェクトマネジメントをしています。「Re;set U」プロジェクトの発起人であり、リーダーとしてメンバー集めから関わってきました。
古賀:
私も研究所に所属し、戦略に基づくさまざまな研究の推進のサポートをしています。もともとはfibona全体の運営メンバーとして「Re;set U」のチームを支援する立場だったのですが、「もっと中に入って一緒にやりたい!」と、途中からプロジェクトメンバーに移籍しました。ユーザー体験の設計や、顧客価値の検証などを手がけています。
辻:
ファンデーションの中味開発業務を担当しています。fibonaの運営メンバーとして、2023年の初頭からプロジェクト全体の管理などを担当しています。
“視覚×嗅覚×圧覚”を組み合わせた「Re;set U」の新体験
――あらためて、「Re;set U」とはどのようなプロダクトなのでしょうか。
辻:
「Re;set U」は視覚、嗅覚、圧覚の3つの同時刺激で心身のリフレッシュをかなえる、これまでにないプロダクトです。形状は透明なアイウェアで、装着すると水の中から水面のゆらぐ光を見ているかのように視界が変わることで、お客さまにリフレッシュ時間を提供します。
また、こめかみ周辺を適度に押す弾力性のあるパッドがついており、マッサージのような物理的刺激も得られます。さらに、メガネでいうツルの位置にあたる側面には、香りのカートリッジが挿入できる仕組みになっています。今までにないタイプのプロダクトですから、おそらく初めて目にする人は戸惑うかもしれません。
この形になるまでは様々な紆余曲折がありました。
“水のゆらぎ”で視覚からも心地よさを
――「紆余曲折があった」とのことですが、現在の「Re;set U」コンセプトが決まるまでに、どのような経緯があったのでしょうか。
高橋:
プロジェクトが立ち上がったのは2020年です。コロナ禍に突入し、リモートワークの普及が進んだことで、生活の中でオンとオフの切り替えがなくなりストレスを感じている人たちがこれまで以上に増えました。そのような方々にほんの数分でも、ふっと気持ちがラクになるような何かをつくれないだろうか。まだ世の中に存在していない新しいものを、と考えたのが始まりでした。
最初の段階では、資生堂が知見を持つ「嗅覚」と「圧覚」を活用し、同時に刺激するようなものをつくろうと試行錯誤していました。神経が多く集まっていて自律神経にも影響すると想定される首の後ろを刺激するマッサージアイテムのようなイメージです。
そこで実際にプロトタイプを作って多くの方に見てもらったのですが、「従来のマッサージアイテムとどこが違うのか」と問われました。コンセプトは間違っていないかもしれないが、見慣れた形状ゆえに既視感が拭えなかったのです。
寺西:
並行して、「3Dプリンターを使ってパーソナライズしたプロダクトにしたい」という思いもありました。そもそもマッサージアイテムは、「買ったけれどあまり合わなくてなんとなく使わなくなった」というパターンが多い。それならば、最初からその人にぴったり合う形状のものをつくったらどうだろうかと考えたんです。
また通常の資生堂製品の容器などは大量生産なので金型を使って製造しますが、パーソナライズド製品など小ロットの製品を金型で作るとなると、たとえそれが簡易的な金型であってもコストがかさんで価格が跳ね上がってしまいます。それを解決するためにも、3Dプリンターでパーソナライズすることは付加価値を生み出せるのではないか、と考えていました。
ただ、そのためには具体的にどのような形状にすればいいのか。次のステップに行くためには何が必要なのか。それが見えない状態が2022年頃まで続いていましたね。
高橋:
突破口になったのは、途中からプロジェクトに加わった朴さんです。みんながゼロベースからアイデア出しをしたり、いろんなワークをしたりと試行錯誤していたときに、朴さんが「こんなのはどうですか?」と出してくれたスケッチが衝撃的だったんです。これが現在のRe;set Uの原型になりました。
朴:
僕が途中からチームに加わった時点で、課題はすでに明らかになっている状態でした。
そこからコンセプトを考えていく中で、ふと頭に浮かんだのが水中の心地よさです。水面でゆらぐ光を眺めているときの、あのリラックスした心地よさ。水、水中......そこからアイデアを発展させて、この形に行き着きました。
圧覚で刺激する部位を、首から目の周辺に180度変更し、アイウェアのように顔の前面に装着する形にしました。これまでにはなかった、水面を見ているように視界がゆらぐ視覚刺激を追加しました。また、結果として鼻の近くで香りが流れやすくもなりました。
高橋:
顔の前面に装着することで、香りによる瞬間的なインパクトは格段に大きくなります。さらに圧覚で刺激する部位も、よく考えれば首にこだわる必要はなかったんですね。朴さんのスケッチを見て、「これならばいけるのでは」と直感しました。
古賀:
装着していただくとわかるのですが、すごく軽いんです。しっかりフィットするので手を離しても問題ありません。こめかみ周辺を刺激しながら、軽さと自立性を同時に追求したデザインが実現できました。
何よりも「水中を感じさせる」というコンセプトそのものが新しい驚きにつながった最大のポイントかなと思います。顔をマッサージする触覚や圧覚に関して資生堂はこれまでも研究を重ね、美容法としてお客さまに提供してきた経緯があるのでそれだけでは新しさを感じづらかったのですが、視覚刺激を与えること自体を価値とするプロダクトやサービスはあまり見たことがありませんでしたから。
朴:
マッサージアイテムは機能性ばかり重視すると、インテリアに馴染みづらい傾向がありますよね。その課題をクリアするために、室内に置いたときに自然と馴染むような、オブジェのように美しい佇まいのアイウェアであることも重視しました。
外部とつながるからこそ実現できた「Re;set U」
――「視覚✕嗅覚✕圧覚」のコンセプトが固まった後は、順調に進んだのでしょうか。
高橋:
いえ、コンセプトスケッチは鮮烈でしたが、このデザインを3Dプリンターで実現するのは正直厳しいだろうと思っていました。
僕はそこまで3Dプリンターに詳しくなかったので、3Dプリンターといえば黄色の不透明な造形物のイメージしかありませんでした。朴さんがイメージしたガラスのような透明感、光のゆらぎといった繊細な質感を、3Dプリンターでは実現できないだろうと思ったんです。
寺西:
そこは僕も同感でした。新しい容器や新機構の研究開発に当たっての3Dプリンターの活用は資生堂でも長年行っていますが、実際に3Dプリンターの出力品をそのまま製品に採用した事例はまだありませんでした。レギュレーション(規定)や安全性の問題などもありますが、やはり3Dプリンターで作ったものならではの価値を提示できていなかったのが一番の理由だと考えています。
ならば、外部の力を借りるしかありません。そこで3Dプリンターのデジタル工作に強い株式会社デジタルファブリケーション協会さんに相談し、いろんな知見を教えていただきながら、どのような材質や加工であれば「Re;set U」のイメージする透明感を出せるのか、一緒に試作を重ねていきました。
古賀:
デジタルファブリケーション協会さんにお声がけしたのは、私が10年ほど前から個人的に活動しているものづくりコミュニティでご一緒していたことがきっかけです。
私自身、大量生産のものづくりだけではなく、少量生産でそれぞれのお客さまに合うカスタマイズしたものを届ける…、つまり、お客さまを巻き込んでものづくりをすることに価値があるのではないかとずっと感じており、そのための手段として3Dプリンターは有効だと思っていました。
当初はfibonaの運営メンバーとして、高橋さん、寺西さん、朴さんらを支援する側だった私が、「Re;set U」を主体的につくる側にまわったのもそれが理由です。これまでにない突き抜けたものを自らつくることで、新たな研究開発プロセスを切り開いたり、研究員の意識を変えたいという気持ちもありました。
そこで、3Dプリンティングに関する知見や製造ノウハウを持っているデジタルファブリケーション協会さんにも力を貸していただいたというわけです。
寺西:
こうした実験的なプロジェクトの良いところは、既成概念にとらわれない新しい価値づくりができることですよね。普通の商品開発では、まずできないようなことにチャレンジできる。しかも、自社だけで考えていたら、完成までにかなり時間がかかったことは間違いありません。
高橋:
僕も今回の経験を通じて、「外部とつながることで実現できることがあるんだ」と確信を抱きました。もちろん、我々は専門分野の知見をたくさん持っていますが、専門外の分野も当然たくさんあります。他社と共創しながら開発していくプロセスは、そのことに気づかせてもらう本当に良い機会になりました。
朴:
僕自身は、ゆらぎのイメージはあっても、どう再現すればいいかがわからずに悩んでいました。でもデジタルファブリケーション協会さんが、「波のゆらぎはこうやってつくれますよ」とオープンソースのコードを応用してくださって。勉強になりましたね。
古賀:
朴さんのデザインのイメージを見事に実現してくださいましたよね。デジタルファブリケーション協会のみなさんも、「僕たちには実現のノウハウはありますが、こんなアイデアはとても出てこない。デザイナーの独創的なアイデアを一緒に実現できるのは楽しいです」とおっしゃってくださってうれしかったです。
3Dプリンティングの技術は日進月歩で進化しています。だからこそ、今の最先端の技術に触れておかなければ、数年後に起きるであろうゲームチェンジでふるい落とされてしまう。その証拠に、「Re;set U」にも3Dプリンターだから実現できた細かな工夫がたくさんありますから。
辻:
社内外のメンバーは、自分の持ち場だけでなく皆で知恵を出し合っていましたよね。例えば、プロトタイプを見た古賀さんが、「ここは、もう少しこうする?」とパパッとその場で手書きの絵で修正の提案をして、「じゃあ次はこれでお願いします」とスピーディーに進んでいく展開は、近くで見ていて驚かされました。
視覚というこれまでにないコンセプトの新鮮さ、「こんな面白いもの、他社製品では見たことがない!」という驚き、そしてメンバーのみなさんの情熱に圧倒され続けるプロジェクトでした。
高橋:
fibonaという取り組みがあったからこそ実現できたことだと思っています。そのおかげで社内外からそれぞれ異なる強みを持つメンバーが集まって、こんなに良いプロダクトができた。普段はまったく接点がないメンバー同士が、同じゴールを目指せたのも貴重な経験になりました。
朴:
そう思います。僕たち資生堂クリエイティブのデザイナーは、普段はブランド関連の業務がメインですが、いろんな制約もありますし、基本的にはそのブランドに合わせたデザインを生み出していく必要があります。今回の「Re;set U」のように、自分の美の感性だけを生かしたプロジェクトは実は多くありません。そこはリーダーである高橋さんがぶっ飛んでいたおかげかもしれません(笑)。
高橋さんは、シンプルなデザインには反応が薄かったのですが、ちょっとぶっ飛んだアート作品寄りのものだと面白がってくれたんですよ。そこはデザイナーとしてはすごくやる気が出ましたね。
挑戦できる風土を次の世代へ伝えたい
ーー最後に、今後の「Re;set U」プロジェクトの展望や抱負をお聞かせください。
古賀:
まずは一人でも多くの人にこのプロダクトを見て、触って、体験していただきたいです。12/15-16に開催するfibona Open Lab 2023で初めてお披露目するのですが、試着が可能です。また、頭部・顔形状の3Dスキャン診断からサイズや圧覚の刺激位置をパーソナライズするカウンセリングも一部の方には体験インタビューを実施することを計画していて、「Re;set U」の価値をさらに深く検証していけたらと思っています。
振り向いてくれるコアターゲットはどのような人で、どんなポイントが評価されるのか、それをしっかり把握・分析し、今後の研究や開発の戦略にも活かすことができればと考えています。
高橋:
僕はプロセス自体に大きな意味があったプロジェクトだと感じています。3Dプリンターの可能性を模索できたこと、外部と一緒に新しいものを作っていく共創プロセス、あらゆる面でいろいろな気づきがありました。
実際にできたプロダクトを社内外にお披露目し、生の声を聞く機会ももちろん重要です。でもそれ以上に、研究所で「こんなチャレンジができる」風土があることを、次の世代に伝えていく良い機会になったと思っています。
資生堂の研究所には、このプロダクトよりさらにすごいことを考えてくれそうな人たちが山ほどいますから。
朴:
デザイナーとして本音を打ち明けると、現段階の「Re;set U」には、まだまだ突き詰められる部分が残っていると感じています。
今回は、小さな修正を何度も重ねてスピーディーにプロトタイプが作れる3Dプリンターの特性を十分に活かせたと思っていますが、それでも資生堂らしい美しい形にはまだ至っていないなと感じています。さらに突き詰めて、完成度を高めていきたいです。
寺西:
パーソナライズの可能性を確かめる。そのために3Dプリンターを存分に使い、かつ資生堂の文脈の中でひとつのゴールまで辿り着けた意義はとても大きかったと思います。
予算と納期が厳密に決まっているプロジェクトではなかなかできない経験をさせてもらえましたし、資生堂の本流ではないところ、新しい領域の価値を検証する意味でも、可能性を示せたと思います。個人的にもすごく良い経験になりました。
辻:
本流ではない、枠の外だからこそできたことはありますよね。「化粧品」を超える新たなビューティの価値づくりを目指す取り組みであること、ブランドからいったん離れたからこその自由度の高さ、そして資生堂研究所の発信という意味でも、今後につながるモデルケースになったと思っています。
(text: Hanae Abe edit: Kaori Sasagawa)
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