薬草を活かし、地域の自然を守る——伊吹山「蘇湯」プロジェクトが新たにデザインした“循環型ものづくり”
2023.12.5再生という言葉は「蘇る」ということ。万物への恩返しの意味も込めて、人間だけでなく万物が本来の力を取り戻すという大きなテーマを掲げて、「蘇湯」のネーミングが誕生しました。
資生堂研究所発のオープンイノベーションプログラム「fibona(フィボナ)」が協働プロジェクトとして推進する「伊吹山プロジェクト」。
滋賀県と岐阜県の県境にあり、薬草の宝庫とも呼ばれる伊吹山。その地の恵みである薬草を軸にして持続可能な「循環型ものづくり」を目指す、クラウドファンディングの挑戦が始まった。
伊吹山の薬草を活かした入浴用ボタニカル「蘇湯(そゆ)」を開発したプロジェクトメンバーは、それぞれの専門性を活かしてどのような協業を進めてきたのか。
資生堂からはfibonaのプロジェクトリーダーを務める中西裕子、資生堂クリエイティブの川合加奈子、開発推進センターの研究員である高草木未紗子。そして、松田医薬品の松田憲明氏、藤原印刷の藤原隆充氏、伊吹薬草の里文化センターの谷口康氏、クリエイティブ・ディレクターとしてプロジェクトを統括した株式会社REDDの望月重太朗氏がオンラインに集結し、伊吹山「蘇湯」プロジェクトの歩みを振り返った。
「伊吹山プロジェクト」企業の垣根を越えた協働チームが誕生
——まずは、みなさんの簡単な自己紹介と、伊吹山「蘇湯」プロジェクトにおける役割を教えてください。
中西:
資生堂のR&D戦略部で、主に化粧品以外の新領域の戦略立案とオープンイノベーションを担当している中西です。fibonaのプロジェクトリーダーも兼任しています。今回の伊吹山プロジェクトでは、他のプロジェクト同様に、座組づくりや推進のサポート全般を担っています。
高草木:
開発推進センター、化粧品原料である植物エキスの開発を担当している高草木です。資生堂が伊吹山に薬草園を立ち上げた2018年以来、プロジェクトの一員としてずっと伊吹山に通い続けています。
川合:
資生堂クリエイティブに所属する川合です。普段はスキンケアブランド「エリクシール」「アクアレーベル」のプロダクトクリエイティブディレクターを務めています。
今回、資生堂クリエイティブからは私、プランナー兼コピーライター、アートディレクターの3名体制でプロジェクトに参画し、ネーミング・ストーリー・ロゴ開発・プロダクトデザインを担当しました。
松田:
松田医薬品の松田です。弊社は植物を使った入浴剤を得意としておりますので、伊吹山の植物をブレンドした入浴剤を開発するにあたって、処方の設計と製造・販売、及び川合さんのディレクションのもとパッケージの作成とアセンブリを行いました。
藤原:
長野県松本市に本社がある藤原印刷の藤原です。今回のプロジェクトでは入浴剤のパッケージとなる紙をつくるところから始めて、印刷・加工の部分を担当させていただきました。
谷口:
薬草をテーマにした複合施設「伊吹薬草の里文化センター」の谷口です。薬草の栽培を担当させていただいております。
望月:
株式会社REDDの望月です。今回お集まりいただいた皆さんのご縁をつなげつつ、全体のクリエイティブディレクションや各方面とのコミュニケーションなど、統括プロデューサー的な役回りを担当させていただきました。
——社内外の多様なメンバーが集った伊吹山「蘇湯」プロジェクト、実際はどのように進んでいったのでしょうか。
望月:
まずは、資生堂の高草木さんと伊吹薬草の里文化センターの谷口さん。このお二人が中心となって伊吹山の植生回復活動に真摯に向き合ってこられたことが前提にあります。
また、伊吹山の麓の地域には、薬草をふんだんに使った独自の薬草湯の文化が受け継がれています。それならば薬草湯を軸にした共感性の高いプロダクトができないか、入浴剤はどうだろうかというお話になり、資生堂のみなさんと僕で戦略を組み立てて具体化していきました。
薬草の入浴体験を構想したとき、真っ先に思い浮かんだのは松田医薬品さんです。そこで松田さんを資生堂研究所のあるS/PARKにお連れして、資生堂のみなさんとお話していただき、開発やクラウドファンディングに向けたストーリーづくりも含めて本格的に動き出しました。
松田:
私どもは40年以上、植物を使った入浴剤をつくり続けている会社です。資生堂さんとは過去にも何度かご一緒させていただきましたが、今回はS/PARKの一室に足を踏み入れてすぐに「これは大変なプロジェクトになりそうだ」と直感的にわかりました。fibonaチームから研究員のみなさんまで、大勢の方々がずらりと並んでいらっしゃいましたから。
ただ、具体的にお話をうかがっていく中で「この製品はうちが開発できなければ、どこにもできないだろう」とも思いました。あのとき、大きなチャレンジを前に武者震いした感覚は、今も鮮明に覚えています。
望月:
プロジェクトの初期段階で、僕たち自身も伊吹山を訪れ、豊かな薬草文化に触れると同時に、現地で谷口さんが感じられている課題も共有させていただきました。
谷口:
日本では長らく農業離れが進んでいますが、伊吹山の薬草栽培も過疎化による担い手不足、獣害、自然災害、薬草栽培で発生する経費の高騰など、さまざまな課題を抱えています。
国内の薬草自給率は約10%台と低く、ほとんどのメーカーが海外の原材料を使用しているのが現状です。
平安時代から記述が残っているほど古い歴史を持つ伊吹山は、やや特殊な気候環境を持つ山でもあります。低山でありながら高山植物も育ち、北と南のほぼ中間地点でもある。寒暖差も大きいため、多種多様な薬草が生い茂っています。
日本にはさまざまな薬草の産地がありますが、伊吹山の薬草にはここにしかない力があると私は思います。今回の「蘇湯」の開発も、地元に長く根付いてきた薬草湯の文化、そして伊吹山の薬草の価値にあらためて目を向けていただける機会だとうれしく思っています。
「Primitive × Premium」な価値を伝える
——資生堂チームのみなさんは、「伊吹山の薬草を使った湯文化の体験」をどのようにしてプロダクトへと落とし込んでいったのでしょうか。
中西:
fibonaでは、熱意はあるけれどもチャレンジが難しい取り組みをサポートするプログラムを以前から行っています。
どう継続すればいいか、どういう貢献の形があるのか。伊吹山の件で、高草木さんからこのような相談を受けて、望月さんの力をお借りしたのが始まりでした。
日本人にとって入浴はとても身近な行為ですよね。西洋の「油の文化」に対して日本は「水の文化」とも言われますが、“薬草の湯に浸かる”というアプローチは、日本人の身体感覚のプリミティブな部分に訴えかけてくるものがあると思っています。
川合:
私自身、初めて伊吹山の薬草湯に入ったときの感動は忘れられません。心身を薬草の湯に委ねる心地よさ、そうした時間を持てることの贅沢さ。「この素晴らしさを誰かに伝えなきゃ!」と強く思ってしまうほどの体験でしたし、これもまた新しい贅沢の解釈なのだと実感しました。
そこから議論を重ねていく中で生まれたのが「Primitive × Premium」のコンセプトです。伊吹山の風土を感じられるような体験デザインを表すコンセプトであると同時に、資生堂がこれから目指していくキーワードのひとつである「ウェルネス」とも根底でつながっていると思います。
——「Primitive × Premium」のコンセプトのもと誕生した入浴用ボタニカル「蘇湯」は、ヨモギ、スギナ、イブキジャコウソウなど6種の薬草からなるオリジナルレシピが開発されたそうですね。
高草木:
原点は、谷口さんが伊吹山の薬草でつくられた薬草湯です。私も川合さんと同じく、初めて使ったときは「これは絶対にお客さまのもとへ届けたい!」と強く思いました。不織布越しに薬草の形が楽しめるお湯に浸かると、五感で感じられるなんともいえない心地よさがあるんですね。
「蘇湯」は伊吹山の恵みである未利用素材の薬草から開発した入浴用ボタニカルです。通常の入浴剤とは異なるのは、お客さま自身が付属の巾着袋にご自身で薬草を入れていただくこと。目で見て、手で触れて、香りを嗅ぐ。そうした体験自体も楽しんでほしいので、6種の薬草は葉や根の形があえてわかるように形状を残しています。
実は細かく刻んだほうが抽出効率はよくなるのですが、刻みすぎると植物の元の形がわからなくなってしまいますよね。その難しいバランスを、松田医薬品さんが開発技術と工夫によって見事に実現してくださいました。
松田:
入浴剤を開発している私たちとしては、やはり温まってほしいので細かくしたくなるんです(笑)。でも今回のプロダクトの目的はそこだけではない。手に取ったときの素材感や山から採れた植物の風合いも大切にしたいとのことでしたから、試作の段階で何往復も意見交換をさせていただきました。もちろん、お湯に浸したときのバランスも考慮しています。
川合:
デザインコンセプトとしては、桐箱を開けてから湯船に浸かった後までも含めて、一連の所作を丁寧なものにしてほしい、手間を楽しんでほしい、との願いも込めています。それが自分や家族、身近な人への思いやりにもつながっていく。そうしたところにも贅沢の本質が宿るのではないかなと私たちは考えています。
薬草の端材を、オリジナルの再生紙に
——「蘇湯」のパッケージには、薬草の端材を生かしたオリジナルの紙がつくられました。
望月:
プロダクトの中身はもちろん、それを封入するパッケージも感触を大切にしたい。そう考えてパッケージデザインの印刷では、藤原印刷さんの力も大いにお借りしました。
藤原:
藤原印刷は、資生堂クリエイティブさんが考案されたデザインを、印刷・紙加工によってどう実現していくか、という段階からご一緒させていただきました。
私たちはもともと書籍を多く手がけてきた印刷会社です。デジタル化が進んだことによって印刷業界は右肩下がりの一途を辿っていますが、業務用のドキュメントはペーパーレス化が進んでも、ブックのほうにはまだまだチャンスがある。時代性や社会性、精神性を印刷物に込めるブックやプロダクトは、むしろ今後も増えていくと考えています。
これまでの印刷会社は、仕様書をいただいてその通りに納品することが役割でした。しかし10年くらい前からはその逆、つまり自分たちが蓄積してきた知恵や工夫をどう世の中に還元していくかという面白さに気づき、革新的なチャレンジにも積極的に取り組んできました。
今回の「蘇湯」は紙づくりからのスタートです。薬草の端材をオリジナルの再生紙にするにあたって、そもそも印刷機を通るのか。紙にどう色が乗るのか。すべて未知数でしたね。
どの薬草を、どんな割合で組み合わせて混ぜ込むのか。印刷機のローラーを損傷しない素材の種類や配合の比率はどれくらいなのか。いろんな試行錯誤を経て、「蘇湯」に使用したヨモギから得られるモグサや、端材を練りこんだオリジナル紙を完成させることができました。
川合:
テスト過程でも、素敵な表情の紙をたくさんつくっていただきました。
藤原:
プロジェクトに関わるみなさんの熱量が伝わってきましたから、その熱量をいかに落とさずに最終的なアウトプットを仕上げられるかを大切にしたつもりです。
薬草の端材をアップサイクルする試みも、環境への貢献という意味で大きな意義があると思っています。FSC認証(森林認証制度)のようなエコな紙を使うこともいいとは思いますが、今回のようなオリジナリティのある試みももっと社会全体にあってもいいのではないでしょうか。
谷口:
根や葉などの部位だけでなく、薬草をまるごと使う試みは、とても素晴らしいと思います。全草を使っていただくことで生産量が増えれば供給が安定し、生産者の助けになりますから。
今回のプロジェクトは、伊吹山だけでなく全国の薬草栽培に携わる方々にとっても理想的なモデルになるのでは、と私も感じています。
「蘇湯」のネーミングに込めた思い
——「蘇湯」というネーミングはどのように誕生したのでしょうか。
川合:
数多くのネーミングアイデアをコピーライターが考案・提案し、ディスカッションを重ねました。もともと入浴とは「禊の精神」に基づいているという説があり、入浴そのものも「再生」という根源的な意味を持っていたと言われています。
再生という言葉は「蘇る」ということ。万物への恩返しの意味も込めて、人間だけでなく万物が本来の力を取り戻すという大きなテーマを掲げて、「蘇湯」のネーミングが誕生しました。
望月:
伊吹山の再生を願う思い。環境にも人にも優しいサステナブルでウェルネスな循環が巡ることへの願い。そうしたエッセンスを「蘇」というシンプルな言葉で鮮やかに切り取った名コピーだと思います。
川合:
象形文字まで遡って「蘇」の成り立ちを調べると、伊吹山に生えている植物の恩恵を現すのにぴったりであり、「湯」という文字も「太陽の恵みから与えられるもの」という意味があるとがわかり、最適な言葉だと思いました。
この象形文字をイメージのベースにしながら、入浴の心地よい雰囲気を感じられるロゴをデザイナーが作成しました。
「蘇湯」を地域の環境課題を解決するモデルに
——クラウドファンディングが始まり、「蘇湯」を通じて伊吹山に関心を持たれる方々も今後増えていくはずです。最後に、今回のプロジェクトを通じて得られた学びや抱負をお聞かせください。
松田:
まずは入浴剤をつくり続けてきた会社として、この新たなプロダクト「蘇湯」をぜひ体験していただきたいと思っています。桐箱を開き、付属の巾着袋に植物を入れてキュッと口を絞り、お湯に入れてよく揉み出す。すると、じんわりと植物の成分が湯に溶け出していき、湯上がり後にはこれまでにはないようなぬくもりを実感していただけるはずです。ひとつひとつのプロセスをぜひ堪能していただきたいですね。
また、弊社としてもオールスターともいえるチームでものづくりする貴重な機会をいただきました。クラウドファンディングの達成に向けて全力を注いでいきますが、この先も継続できる機会があれば嬉しく思います。
藤原:
藤原印刷にとっては、今回のプロジェクトを通じて「心地よい仕事と、そうではない仕事の違いはなんだろう?」とあらためて考える機会となりました。そこから行き着いたのは、「心地よい仕事」とは、単に機能として使われるだけではなく、コンセプトに寄り添い、自分たちの価値をしっかりと発揮できる仕事である、という結論です。
今回の印刷では、紙づくりだけでなく、本来ならば廃棄されるインクも再利用しています。再利用インクは色指定ができないデメリットがありますが、それでも資生堂さんの理解があったおかげで、コンセプトに寄り添ったチャレンジが実現できました。そうした細部の作業も含めて、今回のプロジェクトはいい人とチームに恵まれた「心地よい仕事」でした。
谷口:
川合さんが「手間を楽しむ」余裕についてお話されましたが、そうした余裕が失われているのが現代人だと思います。薬草を袋に入れる作業も、インクの再利用も、ある意味では「手間」ですが、そのひと手間をかけることによって付加価値が生まれていく。
入浴剤と聞くと、ほとんどの人はパッと鮮やかに色が変わるものを思い浮かべるかもしれませんが、「蘇湯」を体験することで、従来とはまったく異なる薬草湯を体験していただけたらと思います。願わくは、みなさんのお力を借りて「蘇湯」が商品化され、薬草栽培の担い手を増やすことにもつながっていくとうれしいですね。
最後に一言を付け加えるなら、伊吹山プロジェクトの初期から携わってくれた高草木さんの情熱が、これだけの多くの方々の心を温めることにもなったことにも深く感謝しています。私は、高草木さんこそ「蘇湯」のような方だと思います。
高草木:
こちらこそありがとうございました。2022年の今頃は、何とかしたいけれどもどうすればいいかわからない状態だったのですが、わずか1年で「蘇湯」のローンチまでたどり着けたのは望月さんがつないでくれたご縁と、関わってくれたみなさま、そして何よりも谷口さんのおかげだと思っています。
望月:
僕としては今回のようなオープンイノベーションのモデル自体を、もっとサステナブルなものにしていけたらと思っています。
伊吹山と同様の環境課題を抱えている地域は全国にたくさんあります。そして、それぞれに固有の文化や植生、ストーリーがきっとあるはず。そうした各地の課題を解決するためのモデルとして、今回のプロジェクトのような在り方を参考にしていただけたらと考えています。
中西:
そこは私も同感です。「蘇湯」という素晴らしいプロダクトが出来上がりましたが、これはまだファーストステップといえるかもしれません。違う場所、違う形でも応用できるように。1社だけ豊かになるのではなく、「三方良し」どころか「五方良し」くらいに多くの人が潤う状態をつくる土台になればと思っています。
また、研究所から生まれたfibonaのリーダーとしては、高草木さんのような熱意ある研究員がもっと出てくる組織づくり、熱意をつないでいけるような場づくりを目指していきたいと思っています。
川合:
今回のプロジェクトを通じて、社会課題に気づいて、触れていただくためのきっかけとなるクリエイションに携われたことをうれしく思います。私自身も自然と人間の向き合い方について、今まで以上に考えるきっかけを与えてもらいました。
資生堂クリエイティブでは「あらゆるものに美を見出し、新たな美を生み出す」というビジョンを持っており、価値を視覚化・具現化すること、それに触れた人々が、新たな美の体験を感じていただくことを大切にしています。
世界にはまだまだ私たちが知らない「美しいもの・伝えていきたいこと」がたくさんあります。そうした価値を皆さんに届ける役目を今後も担っていきたいと思っています。
………
伊吹山の薬草を活かした入浴用ボタニカル「蘇湯(そゆ)」。2023年12月28日までREADYFORでクラウドファンディングをしていますので、是非応援購入をお願い致します。
一人でも多くの方に伊吹山の素晴らしさを感じていただき、その思いがまた、この地が蘇る力に結ばれることを願って。
》失われつつある伊吹山の自然に、今こそ力を。蘇れ、万物にウェルネスを
(text: Hanae Abe edit: Kaori Sasagawa)
第一回対談の記事はこちら
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